開示
Anthropicの上場申請書類(S-1)を読む⑥
米国政府・輸出規制・国家安全保障のリスク
第6回は、上場申請書類(S-1)の「事業等のリスク」のうち、米国政府との関係を読みます。政府機関からの売上は、各期とも売上の約1%です。それでもS-1は、この項目に多くの紙幅を割いています。2026年2月、the President of the United States(米国大統領)は、全連邦行政機関に当社技術の使用停止を指示したと述べました。同じとき、Secretary of War(戦争長官)は当社を「supply-chain risk to national security」に指定するよう指示しました。裁判の結論は、2つの裁判所で分かれています。
この記事の要点
Anthropicの上場申請書類(S-1)「事業等のリスク」から、米国政府との関係を読みます。政府機関からの売上は各期約1%にすぎません。それでも2026年2月の「supply-chain risk」指定、2026-08-27の地裁判決と2026-09-25の控訴裁判所の2対1の判断、2026年6月の輸出制限は、事業全体のリスクとして書かれています。
先に見ておくと分かりやすいもの
政府向け売上は約1%、それでもリスクは大きい
S-1は、政府機関との契約からの売上が、開示しているどの期間でも合計で約1%だと書いています。数字だけを見れば小さな割合です。
ただし、すぐ後にこう続けています。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
however, the risks described below, including the governmental actions described in this risk factor, are not limited to revenue generated directly from government agencies and could affect our relationships with commercial customers and partners.
日本語訳:ただし、以下に記載するリスクは、このリスク要因に記載する政府の措置を含め、政府機関から直接得る売上に限られず、民間の顧客やパートナーとの関係にも影響しうるものです。
政府と取引する民間企業は多くあります。政府との関係がこじれると、そうした顧客が取引を控えるおそれがある、という書き方です。
政府向けの販売のうち、機密の契約を履行するには、施設保全クリアランス(政府の秘密を扱う資格)が必要です。S-1によると、この資格を維持しなければならないのは子会社のAnthropic Public Institutions, LLCです。失えば、新しい機密契約の入札ができなくなる可能性があります。
2026年2月に何が起きたか
発端は、当社の公の立場でした。当社は、自社の技術を国内での大規模な監視や完全自律型の兵器に使わせない、と表明していました。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
For example, in February 2026, in response to our publicly stated position that our technology should not be used for mass domestic surveillance or fully autonomous weapons, the President of the United States stated that he had directed that all federal executive agencies cease using our technology.
日本語訳:たとえば2026年2月、当社の技術を国内の大規模監視や完全自律型兵器に使うべきではないという当社の公の立場を受けて、the President of the United States(米国大統領)は、すべての連邦行政機関に当社技術の使用をやめるよう指示したと述べました。
同じとき、Secretary of War(戦争長官)は、Department of War(戦争省)に指示を出しました。当社を「supply-chain risk to national security(国家安全保障上のサプライチェーン・リスク)」に指定せよ、という指示です。そして、米軍と取引する業者・供給者・パートナーは、ただちに当社といかなる商取引もしてはならない、と述べています。
2026-03-04には、Department of Warが当社に書簡を2通送りました。1通は10 U.S.C. § 3252に基づくもの、もう1通はFASCSA(連邦調達サプライチェーン・セキュリティ法)のSection 4713に基づくものです。どちらも、当社のモデルや製品がサプライチェーン・リスクにあたると主張する内容でした。S-1は、ここまでの一連の措置をまとめて「Challenged Actions(争っている措置)」と呼んでいます。
2つの裁判所、分かれた結論
当社はこれらの措置を争い、2つの裁判所で訴訟を起こしました。カリフォルニア北部地区連邦地方裁判所(N.D. Cal.)と、DC巡回区連邦控訴裁判所(D.C. Cir.)です。事件名はどちらも「Anthropic PBC v. Department of War, et al.」です。
地裁では、まず仮差止め(判決まで措置を止める命令)を得ました。Department of Warの指示と§ 3252に基づく指定を止め、ほかの被告機関にも、訴訟が最終的に解決するまで大統領の指示を実施させない内容です。
そのうえで2026-08-27、地裁はおおむね当社の主張を認める略式判決(重要な事実に争いがないとして、正式な事実審理を開かずに出す判決)を出しました。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
The court ruled that the Challenged Actions were retaliatory acts meant to punish us for speech protected under the First Amendment to the United States Constitution and violated our rights under the Due Process Clause of the Fifth Amendment to the United States Constitution.
日本語訳:裁判所は、Challenged Actionsは合衆国憲法修正第1条で保護される言論を理由に当社を罰するための報復行為であり、合衆国憲法修正第5条のデュー・プロセス条項に基づく当社の権利を侵害したと判断しました。
地裁はさらに、Secretary of Warの行為、特に§ 3252に関する行為を問題にしました。法律上の権限を超え、法に反し、恣意的であるとして、行政手続法(APA)に違反すると判断しています。地裁は、おおむね当社勝訴の終局判決(final judgment)を言い渡しています。被告側は、仮差止めについて控訴を届け出ています。
一方、DC巡回区の控訴裁判所は、別の結論を出しました。
| 日付 | 裁判所 | 内容(S-1の記載) |
|---|---|---|
| 時期の記載なし | N.D. Cal.(地裁) | 指示と§ 3252の指定を仮差止め |
| 2026-08-27 | N.D. Cal.(地裁) | おおむね当社勝訴の略式判決。修正第1条・第5条、APAに違反 |
| 時期の記載なし | D.C. Cir.(控訴裁) | § 4713の指定の執行停止を求めた当社の申立てを却下 |
| 2026-09-25 | D.C. Cir.(控訴裁) | 2対1で当社の審査の申立てを棄却。§ 4713の指定は適法、憲法上の権利侵害もなし |
当社は、DC巡回区の裁判官全員による再審理(rehearing en banc)を求めています。S-1は結論の見通しについて、次のように書いています。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
We cannot predict the ultimate outcome of these lawsuits.
日本語訳:当社は、これらの訴訟の最終的な結果を予測できません。
訴訟の結果にかかわらず、評判が傷つくおそれもあると書いています。顧客が購入を先送りしたり、追加の審査や解約権を求めたり、長期の契約に慎重になったりする可能性です。
国防生産法を使うという示唆
政府との対立は、訴訟だけではありません。規制のリスクを並べた見出しの中に、次の例が書かれています。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
for example, in early 2026, the U.S. Department of War suggested it could invoke the Defense Production Act to compel us to remove the limitations we have placed on the use of our models for autonomous weapons and mass surveillance;
日本語訳:たとえば2026年初め、米国のDepartment of Warは、当社が自律型兵器と大規模監視へのモデルの利用に設けている制限を外させるため、国防生産法(Defense Production Act)を発動しうると示唆しました。
当社が設けた利用の制限を、政府が法律の力で外させる可能性がある、という内容です。「示唆した」という段階で、発動したとは書いていません。
同じ見出しには、ほかの政府の動きも並んでいます。2026年6月には、連邦政府がフロンティアAI(最先端のAI)の開発者が公開前に政府と関わるための任意の枠組みを定める大統領令を出しました。S-1は、これは任意で、許認可や事前承認の制度ではないと明記しています。
輸出規制:Fable 5とMythos 5の停止
輸出規制では、実際に製品が止まった例が書かれています。2026年6月、米国商務省(Department of Commerce)が、当社のFable 5とMythos 5の2つのモデルに、世界規模の輸出制限を課しました。
原文(S-1 リスク要因「法務と規制」)
To ensure compliance, we disabled Fable 5 and Mythos 5 for all of our customers; access to our other models was not affected.
日本語訳:法令を守るため、当社はFable 5とMythos 5をすべての顧客に対して使えなくしました。ほかのモデルの利用には影響はありませんでした。
その後、当社は米国政府や業界のパートナーと協力して安全措置を更新しました。商務省が制限を解除したあとで、2つのモデルを再び提供しています。S-1は、同じような規制が再び起きる可能性や、長く続く可能性、ほかのモデルに広がる可能性があるとも書いています。
輸出規制の仕組みも説明されています。当社のモデルは、商務省が所管する輸出管理規則(EAR)の対象になりうるほか、より限られた場面では国務省が所管する国際武器取引規則(ITAR)の対象にもなりえます。AIの能力が速く変わるため、どの規制区分にあたるかは本質的に不確実だ、と書いています。
社内の管理体制についても率直です。IPアドレスで特定の国や地域からの利用を遮断し、制裁の対象者を照合しています。それでも、過去に違反を当局へ自主的に申告したことがある、と書いています。
原文(S-1 リスク要因「法務と規制」)
Our compliance measures and internal controls have not always been and may not always be fully effective, and we have in the past voluntarily disclosed, and may in the future voluntarily disclose, instances of noncompliance to the relevant authorities.
日本語訳:当社の法令遵守の措置と内部統制は、常に十分に機能してきたわけではなく、今後もそうとは限りません。当社は過去に、違反の事例を関係当局に自主的に申告したことがあり、今後も申告する可能性があります。
国家安全保障の対象としてのAI
S-1は、AIモデルそのものが国家安全保障の対象になっていることも書いています。モデルの重み(学習で得られた中身のデータ)は、国家が支援するスパイ活動の格好の標的だという説明です。
原文(S-1 リスク要因「プライバシー・サイバーセキュリティ・知的財産」)
For example, in light of its advanced cyber vulnerability discovery capabilities, state-sponsored actors may conduct cyberattacks specifically targeting Mythos.
日本語訳:たとえば、Mythosはサイバー上の脆弱性を見つける高度な能力を持つため、国家が支援する主体がMythosを狙ったサイバー攻撃を行う可能性があります。
重みが盗まれれば、相手は多額の研究投資を経ずに済みます。安全の仕組みの外でモデルが使われ、国家安全保障上の懸念も生じうる、と書いています。
実際に悪用された例もあります。2025年9月、中国の国家が支援するハッカー集団が当社のClaude Codeを操作し、世界の約30の標的への侵入を試みました。成功した侵入は限られた数だったと書かれています。
データの面では、米国司法省が出し、2025年4月に施行された最終規則を挙げています。中国やほかの指定国とつながる相手へのデータの移転を、制限または禁止するものです。
政治との距離と、標的になるリスク
政府との関係は、当社の政治への関わり方とも結びついています。S-1は、政治献金や政治団体への支援を含めて政治の過程に参加してきた、と書いています。
原文(S-1 リスク要因「事業と業界」)
We have participated in, and will likely continue to participate in, political processes, including through contributions, advocacy, or support of political organizations.
日本語訳:当社はこれまで、献金・政策提言・政治団体への支援を含め、政治の過程に参加してきており、今後も参加する可能性が高いです。
その結果、同じ立場のほかの会社が標的にならないときでも、特定の政府機関から不釣り合いに、または選択的に標的にされるおそれがあるとしています。例として、政府調達やセキュリティ・クリアランスの付与での不利な扱い、社員を狙った移民・ビザの措置を挙げています。
一方で、政府と協力する面も書かれています。当社はProject Glasswingなどについて、カナダ、EU、英国、米国などの政府と関わってきました。
会計士の読みどころと次回
会計の目で見ると、この項目は「売上の割合」と「リスクの大きさ」が一致しない例です。政府向け売上は約1%でも、Secretary of Warの発言は、米軍と取引する業者すべてに当社との商取引を禁じる内容でした。リスクの大きさは、取引の割合だけでは測れません。
もうひとつは、結論が出ていない訴訟の扱いです。地裁と控訴裁判所で判断が分かれ、当社は再審理を求めています。S-1は結果を予測できないとしており、数字での見積りは示していません。訂正版や上場後の決算書で、この記載がどう変わるかは見ておきたい点です。
この記事は、2026-10-26に提出された初回のS-1に基づいています。公開価格や株数などは原文では空欄で、今後の訂正版(S-1/A)で内容が変わることがあります。また、この記事は投資判断の助言ではありません。
次回は、事業等のリスクの3回目です。AIの悪用、意図しない振る舞い、安全性への傾注のリスクなど、核心の項目を、要所の原文とともに読みます。
よくある質問
Anthropicの売上のうち、政府機関からの売上はどのくらいですか。
S-1は、政府機関との契約からの売上が、開示しているどの期間でも合計で約1%だと書いています。数字だけを見れば小さな割合です。 日本語訳:ただし、以下に記載するリスクは、このリスク要因に記載する政府の措置を含め、政府機関から直接得る売上に限られず、民間の顧客やパートナーとの関係にも影響しうるものです。→ 本文で読む
2026年2月に米国政府はAnthropicに対してどんな措置をとりましたか。
発端は、当社の公の立場でした。当社は、自社の技術を国内での大規模な監視や完全自律型の兵器に使わせない、と表明していました。 日本語訳:たとえば2026年2月、当社の技術を国内の大規模監視や完全自律型兵器に使うべきではないという当社の公の立場を受けて、the President of the United States(米国大統領)は、すべての連邦行政機関に当社技術の使用をやめるよう指示したと述べました。→ 本文で読む
Department of Warとの訴訟で、裁判所はどう判断しましたか。
当社はこれらの措置を争い、2つの裁判所で訴訟を起こしました。カリフォルニア北部地区連邦地方裁判所(N.D. Cal.)と、DC巡回区連邦控訴裁判所(D.C. Cir.)です。事件名はどちらも「Anthropic PBC v. Department of War, et al.」です。→ 本文で読む
2026年6月の輸出制限で、どのモデルが止まりましたか。
輸出規制では、実際に製品が止まった例が書かれています。2026年6月、米国商務省(Department of Commerce)が、当社のFable 5とMythos 5の2つのモデルに、世界規模の輸出制限を課しました。→ 本文で読む
S-1は、モデルの重みが盗まれるリスクをどう書いていますか。
S-1は、AIモデルそのものが国家安全保障の対象になっていることも書いています。モデルの重み(学習で得られた中身のデータ)は、国家が支援するスパイ活動の格好の標的だという説明です。→ 本文で読む
出典
- Anthropic, PBC「Form S-1 Registration Statement」2026年10月26日提出(米国証券取引委員会 EDGAR)
https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/2130357/000162828026067168/anthropicpbc-sx1.htm
この記事は、記載時点で公表されている法令・通達・国税庁の資料にもとづいて書いています。制度は改正されることがあり、また個別の事情によって取扱いは変わります。実際のご判断にあたっては、税理士にご相談いただくか、所轄の税務署にお確かめください。当事務所は本記事の情報を用いて行われた判断について責任を負いかねます。
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